大雨に耐えて
6 月末のことだが、琵琶湖対岸の米原では竜巻が発生し、屋根がはがされる被害が 200 件ほど出た。その後、竜巻発生予報情報が当地方にも出るようになり、高島市の防災無線でもこれまで耳にしたこともないような竜巻注意を呼び掛ける臨時放送があった。黒い積乱雲や雷のさいは、堅牢な建物に避難をという。数年前までは竜巻はアメリカで起こることとしか思っていなかった。温暖化の影響がこのような形で定着してきたのかもしれない。
それからわずか 1 週間後の 7 月 5 日に大雨警報、洪水警報が当地方にも出された。その夜、私の携帯からのアラームに驚かされた。高島市域の一部に対しての避難準備情報だった。今回はすぐ近くの知内川にも「水防団」待機の指示があった。JR湖西線は早くから運休している。原発事故が起きた場合の避難道路とされ敦賀に至る国道 161 号も、降雨量が危険水準に達したということで通行止めとなった。
翌朝、家の前の高木浜ビーチに行くと、波打ち際は例になく大量のゴミが流れ着いていて、中には冷蔵庫のような大きな物もあった。オートキャンプ場の重機が登場して懸命に処理に当たっていた。普段は観光客の来ない西浜の 1 キロほどの 湖岸は私のお気に入りの散歩コースの一つだが、そちらも波打ち際に沿ってゴミが貯まり、しばらくは手つかずのままの状態(写真1)。湖に流れ込む用水路も流 木やちぎれた葦などで埋まりそう(写真2)。
あの豪雨のもとで当地マキノも危ない状況だったのかもしれないが、結果的には大事に至らなかったようだ。滋賀県には出なかったが、数十年に一度の大雨に出されるという大雨特別警報は、お隣の京都府や岐阜県、そのほか西日本の 9 県に相次いで発令された。今回の歴史的豪雨は全国で 200 名を超える犠牲者を出す大災害になった。
強烈な降雨が長時間におよぶので庭のニホンミツバチの巣箱も心配になった。そこで巣箱の屋根の波板を急きょ増設した。巣箱のつなぎ目などから浸水するのを恐れてのこと。庭が浸水するほどではなかったので、台座のかさ上げはしなかった。しかしこの雨が少し弱まると遠くへ飛び出していく働きバチがいる。エサ集めは実質的に無理なお天気なのだが、何のためにか。まさか次の住処(避難場所?) を探す下見では、と疑心暗鬼にもなった。というのは、以前のことだが、梅雨時の長雨がやっと収まった後、庭に飼っていたニホンミツバチが逃去(*)したことがあった。ほとんど蜂蜜を残さないで忍者集団のように密かに行方をくらました。まだニホンミツバチとの付き合いが浅かった私は、茫然としてしまったのだ った。