マキノの庭のミツバチ日記(98)

ミツバチはどうやって巣に戻れるのか?

庭のニホンミツバチの巣箱を見学に来た人たちが一様に感心するのが、遠くから巣に戻る能力。空の高い所から降りてきて迷うことなく巣箱を目指し、巣門から中に戻っていく。このようにミツバチが帰巣できるのも記憶と学習のおかげだ。自分のいる巣箱の独特の臭い、その箱の近くの目立つ松の木、その傍の畑などが記憶にあり、それぞれの臭いに色や形や位置が互いに関連づけられていれば、巣に戻ることはそれほど難しくはないだろう。

私も以前から関心を持っていたこの関連づけ(学習)のことを、少し専門的な感じがするかもしれないが以下に書いてみる。学習と言うと難しく考えがちだが、誰でも簡単な実験で確かめることができる。ミツバチは触角か肢(あし)に毛状の味覚器をもつ。そこに甘味を生じる砂糖水をスプーンなどで接触させてみると、ハチは口先を伸ばして飲み取ろうとする吻伸展(ふんしんてん)を起こす(写真では肢に砂糖水を与えている。私がかつて受けた学生実験を再現)。この行動は高カロリーの糖を摂取するための持って生まれた行動(反射行動)で、学習ではない。

ところが、綿棒に薄めたレモン汁をしみ込ませて触角に近づけてから、すぐに肢に砂糖水を浸すことを数回繰り返してみる。すると、以前には臭いによる刺激だけでは吻伸展を起こさなかったミツバチが、レモンの臭いが来ることだけで、砂糖水の甘みがなくても吻伸展を起こすようになる。これはもともと互いには無関係な二つの刺激(レモン臭と砂糖の甘み)が脳で結びつけられることで行動が変わるいわゆる条件反射によるものだ。この変化はある程度維持され記憶として残る。様々の臭いや色、形もこうして区別され記憶される。

条件反射(古典的学習ともいう)を発見したパブロフ博士(ロシア)の、犬に肉粉とベルの音を組み合わせて唾液の変化を見た実験はあまりにも有名だが、桑原万寿太郎博士(故人)が開発した上に挙げたようなミツバチでの実験は、それとほぼ同じことが昆虫(下等な?!)でも出来ることを示した画期的なことだった。

上のような実験がまだ手探りの段階のとき、桑原さんはあることに気が付いたという。繰り返しての実験の途中、スプーンの砂糖水を肢に近づけただけ(触れてはいない)で吻伸展が起こることがあった。このことから、水の蒸気にも反応して反射が起きているのではと疑った。じつに鋭い観察力だ。念のため砂糖水や蒸留水の入っていない乾いたスプーンを近づけたとき(対照実験)では、反射は起こらなかった。ちなみに、水蒸気に感じる感覚器もあることが後になって証明されている。この類の味覚実験をするときは、事前に水を十分に与えることが必須条件となった。

この夏に、昔に発表された桑原さんの論文(1957 年)を見る機会があり、この実験が具体的に書かれた部分を読んでいて、当時の研究の展開というか「ひらめき」を追体験する面白味を感じた。「今頃になんだ!」と天上(?)の桑原さんは苦笑 しているかもしれない(私は修士課程の頃まで指導を受けたが、その後は別の途に進んだ )。

この吻伸展反射法(PER 法)は今でも昆虫行動の研究に用いられている。ミツバチ脳では農薬ネオニコチノイドによる神経障害が証明されたが、この PER 法がミツバチの神経機能の障害の程度を調べる方法の一つとしても採用されている。(尼川タイサク)

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